胸の痛みに、強い心
人の痛みに機微でありたい。
そう思いながらも、そう悲観的になるなよ、自虐的になるなよ・・・って言い張る無神経な自分がいる。
誰にでもつらいことはあるんだから、それをわざわざ表にして、開けっ広げにつらい話をしなくてもいいじゃないか、そう思う。
だからがんばるフリをする。
だけどがんばるフリをしている人は、誰かに気付いてもらえるだろうか。
痛みを抱いて、胸の中に尖った石を入れ込んで、そうしているうちに体がおかしくなってしまうこともあると思う。
それを素知らぬ顔で通り過ぎることはしたくない。
一見、明るく振る舞うあの人は、どんな石を持っているのだろう。
あるいは抱え続けるうちに、それは朽ちて、あるいは欠けて、なくなってしまうのだろうか。抱え続ける強い心はどうしたら手に入るのだろう。
そういえば昔、好きだったアニメのエンディング曲で「歩き疲れたあの人へ 冷たい言葉を平気で放つ」というフレーズがあった。
今の自分はそうなってやしないかな。
年をとるごとに、人の痛みに鈍感になってやしないかな。
痛みに機微であり続けるのは、楽なことではないかもしれないし、知らず知らずのうちに、その感覚は鈍くなっていくのかもしれない。
歌の歌詞を調べてみた。
「どうにもならない今日だけど、平坦な道じゃ、きっとつまらない。君と生きてく明日だから這い上がるくらいでちょうどいい」
(「Wind Climbing~風にあそばれて~」作詞 奥井亜紀、作曲 奥井亜紀)
しなやかに強く、穏やかな、心がほしい。